・概要
・体構造
Tsukumoという不可視生物は、まるで日本の伝承に登場する器物の精「付喪神」のように、我々が日常使用する道具、または鉱物や樹木といった自然物などに「寄生(或いは固着か)」して生活する存在である。かれらは極めて高い不可視性、及び高度な「質感擬態」の能力からくる「不可触性」を有しており、寄生した状態でのかれらの観察はほぼ不可能である。この理由から、かれらの姿を記録するにはある特殊な方法によりかれらを寄生物から「引きはがし」、死滅させ、まるで毛皮のような状態にしてから行うほかない。そのため、我々が知ることのできる体構造はかれらの死後、及び寄生先から分離した状態のものだけであり、よってかれらが物体に寄生していた際、現在記録される姿とは大きく異なる様相を示している可能性も存在していることを留意願いたい。
さて、現在記録されるTsukumoの姿は種によって実に多様であり、またその寄生先もさまざまである。引きはがした状態の姿をもとに外見上の分類はある程度行われているものの、そのグループ内においてもその寄生先が大きく異なっている場合が多いのである。それゆえに、研究者の中にはTsukumoという不可視生物は一種のみであり、その寄生先に応じて自身の体を様々な姿かたちに変化させる存在なのではないか、と主張する者も存在している。種の中にはごく最近人類が作り出したような道具を専門に寄生するようなものがいる点を考えれば、この説についても説得力はあるように思われる。
そうした多種多様なTsukumoたちにおいて、唯一その体構造上共通しているのは体の全体、あるいは一部に存在する体毛のような器官である。この器官について、その正確な用途は未だ判明してはいないものの、一説にはこれはかれらの「質感擬態」に役立つのではないかともいわれている。この説では拓本による記録のために「体毛」と考えられてきたこれは、実際には無数の「ヒダ」であり、寄生物の大きさや形に応じてこれを広げたり縮めたりする、あるいはタコなどのようにその質感を自在に変えることでより精度の高い擬態を可能としている、とされる。また、質感擬態を助ける役割としながらも、これを「ヒダ」ではなく、自在に動く細かな触手のようなものとする意見もある。こちらの方がより自由にその表面を変えることができる、という点で質感擬態上効率のいいものであるのかもしれない。かれらの姿を拓本という技法でしか記録できない以上、我々が知ることのできるのはかれらの「凹凸」だけであり、その詳細を知ることができないという弱点が、このTsukumoという不可視生物の研究に大きく表れているように思われる。
その正体がどうであれ、この器官によっていくつかの種がまるで獣のような外観を有していることは事実である。引きはがされ、拓本となったそれはさながら「毛皮」のようにも見える。Tsukumoが日本の付喪神、および世界中に伝わる器物の怪のモデルとなっている可能性が高いというのは定説であるが、このことから、それとは別に動物の「変化」…日本におけるキツネやタヌキなどが代表的であるが…に関する伝説についても、この不可視生物の存在が大きくかかわっているのではないかと考えられている。
他、かれらの中には「便宜孔」と呼ばれる口のような部位を有する者が存在する。後述するが、かれらはこの穴を用いて食物の摂取、或いは排出、又は幼体や胞子などの噴出を行っているのではないかとされている。しかし、これはあくまでも拓本上の特徴より推論されたものに過ぎない。そもそもこれが「穴」であるのかどうかすらも我々は知ることができないのである。「便宜」と名付けられているのもこのことが理由である。
かれらの体のそもそもの構造についても分かっていない部分が多い。現在拓本に採られているこの生物は、観察できる通りに扁平な体を持ち寄生先を包み込むようにして生活する存在であるのか、あるいは無数の小さな生物たちが集まり、カビのように群生しているのかについては、拓本紙だけでは調査のしようがないからである。ただし、明確に部位に分かれている場合が多いことから、仮に群体の生物であったとしてもクダクラゲなどのように個々に役割分担を持つ生物であることはほぼ間違いないと思われる。
・スプーンやフォークに寄生するTsukumo、「Metal bending」には一見体毛状の器官がみられないが、その裏側より拓本をとると実際には体毛状器官を有していることがわかる。(それぞれ、左側が「表側」、右側が「裏側」を記録した拓本。)
・生息域
Tsukumoという名前が示す通り、この不可視生物のグループは日本に伝わる「付喪神」のモデルとなったと考えられるような生態を持ち、またその発見も日本、ないしアジア諸国を中心としたものである。このために、かれらをアジア圏にしか存在しない不可視生物であると捉えがちであるが、実際には世界中に生息する存在である。器物が生命を宿し、妖怪化する「付喪神」という概念は日本独自のものであると考えられているが、「器物に関連する怪」というものであれば精霊や幽霊、悪魔といった概念に基づき伝承されているものはヨーロッパをはじめ世界各国で多く見られる。「付喪神」という概念のなかった他地方においては、かれらTsukumoの存在をこうしたものに関連付けて捉えてきたものと考えられるのである。
かれらの多くは湿った場所、または暗がりを好むとされており、生息する地域などについても概ねこれに準ずる。こうした場所は壊れた器物などの「ゴミ」が捨てられる、或いは放置される可能性の高い空間であり、このことが先述の「付喪神」伝説を助長することとなったであろうことは容易に推測できる。また、精霊の住む「森」や幽霊屋敷などに代表されるように、他の地域においてもこうした場所は霊や悪魔などの「何者か」が出没する場としてポピュラーであるといえる。Tsukumoの多くの種が我々の住む「家屋」に発生することが多いというのも同様の理由であると考えられよう。こうした要素は、後述するTsukumoの菌類説などにおいて根拠の一つとなっている。
・生息域:寄生物
付喪神といえば、百年たった器物が生命を得て妖怪化したものである、というのが通説であり、ほかの器物の怪についても同様にある程度年月の経ったものに現れる場合が多い。しかしながら、そうした伝承とは対照的に、Tsukumoたちは器物の年月には特に関係なく物体へ寄生することが確認されている。例えば新しく、今現在使われているような器物にさえTsukumoの発見報告が上がっているのである。この点を説明する理由として挙げられるのは、後述する「可視・可触期間」というものが、ある程度年月を経たTsukumoにおいて発生するものではないか、という説である。例えばかれらが死ぬ瞬間などにおける質感擬態、および不可視性の解除がこの「可視・可触期間」であるとすれば、長い年月を経たものに奇妙なものが現れる・または奇妙な現象が起こるといった伝承とある程度符合する(実際にはそれまで取り憑いていたものが「消失」した、ということになるが)。同様なものとして、かれらは寄生先の物体が周囲の影響を受けない状態で長時間経過したときのみ「可視・可触期間」に陥るのではないか、という説も存在する。これもまた、付喪神となるものの多くが「打ち捨てられていた物品」であるという伝承に符合する考えであるといえるだろう。付喪神伝承やその他器物の怪異の直接のモデルになったと考えられる「可視・可触期間」というもの自体が未だ謎の多いものであるため、この問題の解決にはまだ時間がかかるものと思われる。
寄生物の問題はかれらの食性というところにも関わってくる。我々はかれらについて「寄生」という言葉を用いているが、Tsukumoたちの行うそれは真に「寄生」と呼ぶべき行動なのであろうか。自然物のようなものに寄生するいくつかの種は、その寄生先から養分を得て生活しているという可能性はある。しかし、道具類をはじめとするそうした利益の得られない寄生先に住むTsukumoの場合、これはフジツボのような「固着」に近いものである可能性の方が高いように思われる。その場合、かれらはどのようにして食物を得ているのだろうか。これについては、カビなどのように器物に付着した有機物などをもとに成長するか、もしくは水中の固着生物のように、空気中に存在する餌となる有機物をこしとるか、捕えるかして養分を得るなどの説が存在する。光合成をおこなっているのではないか、とする説も存在するが、仮にかれらの体に葉緑体が存在するのであればそれを確認することができるはずである、という観点からさほど有力なものとしては扱われない。もっとも、かれらが未だ現実離れした存在として扱われている以上、例えば自身の体内にある葉緑体を、光合成の能力は残しつつも「不可視化」してしまう、といった驚愕すべき力をかれらが持っている可能性というのも未だ否定しきれる状態にはないのが現状である。
ユニークな説としては、かれらの質感擬態は外敵などから逃れるためではなく、餌を得るためのものである、というものである。当然これにはタコや、ハナカマキリなどの昆虫にみられるような、獲物を油断させ、近づいてきたところを捕えるというものも含まれるが、先述したように「可視・可触期間」を我々が目にすることがほとんどないことを考えるとそれほど活動的な捕食を行っているとは考え難い。この説ではむしろ、かれらの体全体が捕食可能な器官であり、器物に付着した微生物などを周囲に気付かれることなく摂取しているのではないか、とされている。また、かれらの中には皿などの食器を主な寄生先に選ぶものも存在しており、例えばそこに盛られた料理、あるいはその付着物などを餌として、我々の食事に便乗するような形で栄養の摂取が行われているのではないかとも考えられている。
・Tsukumoといえば寄生物をすっかり覆いつくすように寄生する姿が印象的であるが、中にはその一部にのみ寄生するようなタイプの種も存在する。このような種は「部分寄生種」と呼ばれることがある。