・質感擬態と可視・可触期間
かれらTsukumoが、他種の不可視生物たちをはるかにしのぐ「質感擬態」の能力を有していることは前項においてもすでに述べている。Wallfishの質感擬態は、自身のそもそもの体表やヒレの質感を生息する壁面に合わせて進化させてきたとされるもので、当然ながらほかの壁面においては効果をなさないほか、その擬態についても例えばヒレのみなど、体の一部だけである場合も多い。Footprintsの場合はそれよりもさらに高度である。かれらの上皮は、自身の周囲にある地面の質感や凹凸を見事にまねてしまうためである。これは、例えばかれらの足跡状窪みを石膏取りした場合であっても、見た目上通常の動物の足跡と何ら変わらないほどに正確なものである。窪みを作り定住するという生態上、移動のできるWallfishよりも高い精度の擬態が必要となったためであると考えられる。しかし、かれらが擬態を行えるのはあくまで上皮の質感だけであり、自身の住む窪み自体を隠すといったことは不可能である。つまりは、自身の身体(の痕跡)自体は公にさらしている状態にある、ということである。
そのような中で、Tsukumoの持つ質感擬態の能力は特筆に値する。かれらは極めて扁平的な自身の体を折り曲げ、畳み、或いは収縮、展開し、さらにFootprintsのものに近いタイプの質感擬態を行うことで、自身の痕跡をその寄生する物体にすっかり溶け込ませてしまうのである。このようになったTukumoの存在を認識することは、見ることではもちろんのこと、触ることですら不可能といってよく、他の不可視生物でよくあるような何らかの「痕跡」(Wallfishの「視線」や、Footprintsの足跡状の窪みなど)もほとんど存在しない。Tsukumoが寄生している器物を、その存在を知ることなく普通に使用されていたような事例も存在するほどである。第1群不可視生物中においてTsukumoの研究が最も遅く開始されたのもこのためである。
つまり、通常であれば、我々がどれだけ注視していようともかれらの存在を知ることは不可能ということになる。にもかかわらず、ごく少数とはいえ我々がその姿を認識し、その捕獲、及び記録を行うことができたのは、かれらの体に極一時だけ起こる「可視・可触期間」と呼ばれる現象のためである。
可視・可触期間の厳密な周期、および条件というものについては、その寄生物に関する項で触れたようによくわかっていない。それどころか、その現象の発見例自体、そう多く報告されたものではないのである。この現象は、文字通りある限定された短い期間において、かれらの姿を見たり、触ったりすることができるようになる、というものである。恐らくはかれらがその「質感擬態」を一時的に解いたことによって引き起こされるものであろう。この様子を奇跡的に目撃したものが、器物に何か得体のしれないものが「取り憑いた」、あるいは器物がそうしたものに「化けた」と考えたとしても何ら不思議ではない。さらには、触れるようになった=ある程度外界への影響を及ぼすようになったTsukumoが、周囲の物体に何らかの影響…例えばぶつかる、物を倒す、といったようなことを行った場合、仮に擬態を解いた姿が目撃されずともそうした周囲の状況からポルターガイストをはじめとする霊現象、或いは超能力や呪いなどによるものと考えられるようなことも十分にあり得るのである。
前項の概説でも述べているが、この「可視・可触期間」はどのようなサイクル、または条件下において発生するのかについても未だ詳しいことは分かっておらず、非常に謎の多い現象である。このことは、我々研究者ですら本現象に立ち会った事例が存在していないという点が如実に示している。現在、Tsukumoの拓本採集では各地に伝わる器物にまつわる怪異をベースに、そうした不思議な現象を引き起こす器物の報告を調査し、直接実地へ赴いて採拓を試みるのが普通であるが、はるか昔にそうした伝説が伝わる場合はもとより、ごく最近そうした怪現象の報告があった器物に関してもTsukumoの存在が見受けられなかった場合も数多く存在しているのである。前項にて、可視可触期間をTsukumoの死、またはそれに類する状況に際し発生するものであるという説を紹介したが、こうした事例がその根拠としてしばしば挙げられている。一方、Tsukumoという生物は自身の存在を暴こうとする我々の「意識」に敏感な生物である、とする説も存在する。そのために、かれらは自身の存在を研究しようとする我々のような人物の前で決して可視可触状態になることはなく、また調査を受けることを知ったTsukumoは早々にその寄生物から離れ、ほかの寄生先を探しに行ってしまうというのである。同様の特徴が第1群不可視生物であるWallfishにも存在する点も根拠とされるが、かれらとは異なり、実際にその証拠となるデータが存在しないことからも確実なものとは到底呼べるものではない。しかしながら、研究が浅くともそれなりの日数を継続して観察し続けている現在の研究体制においてさえ、かれらTsukumoの可視可触期間を我々が目撃できていないのは確固たる事実なのである。
では、この可視可触期間、あるいはそれがもたらしたと思しき現象はどういった人物より報告されているのか。多くの場合、それはかれらが寄生する物品の所有者である。所有者たちがその物品の変異に気付き、それを霊的なものや呪いなどに結び付け、霊能者及び超常現象の研究者などに報告されるというパターンが、我々がTsukumoの存在を知ることのできる普通のケースである。こうしたことから、Tsukumoはそうした、一定期間の観察の中で警戒心を持たなくなった人物(愛着を持った人物、というものもいる)の周囲では、その姿を見せる確率が非常に高いものと考えられる。一方で我々研究者がいくら長い期間、かれらの観察を続けていたとしても、かれらがその警戒を解くことは一向にない。これについては、我々の捕獲、記録を行おうとする研究者としての目が、かれらの心を一向に閉ざしているためだと主張する者もいる。こういった警戒心からくる行動は他の既知の動物でも全く普通に見られる。ある意味では、やや超自然的存在であるTsukumoの、生物的な面が見受けられる事項であるといえよう。実際、我々によるかれらの捕獲及び記録という行為は現時点ではかれらの死をもって行われる作業であり、そうした点ではかれらの危機察知能力は極めて優れたものであるともいえるのである。
・質感擬態解除の瞬間を目撃した人物による証言をもとに描かれたスケッチ。質感擬態のサイクルについて、現在は「ある一定の周期」に基づくとする説が存在する。「研究史」の項にて詳しく述べる。