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・能力① ―「透明化」

 

Atmospheric beastsという生物はつい最近になって振って沸いたような存在ではない、というのは多くの研究者が認めるところである。古今東西、様々な空中浮遊物が語られてきたのもかれらの存在の影響によるものであろう、というのが彼らの見解である。しかしながら一方で、それほど昔から生息しているのであれば、映像や写真をはじめとする何らかの物的証拠(今まで数多く発表されてきたUFO、および心霊現象の証拠は存在するが、それらの記録全てが真にかれらの証明に繋がるわけではない。当然、今回発表するかれらの資料についても同様におおよそ信じ切れないものではあるのだろうが)が数多く発見されてしかるべきである、という疑問が残る。この矛盾点を説明するのが、前述の「透明化」の能力なのである。

現在に至るまで世界中の人々が見上げてきた「空中」という世界において、ましてや航空機の行き交う現代社会においてさえ、なぜかれらは我々の発見に至るまでその姿を見られることなく生活することができたのか。これはかれら―Atmospheric beastsたちが、詳細なメカニズムは不明ながら、その姿を全く透明にしてしまうことができる、という驚異的な能力をその身に有していることに起因している。これは他の生物たちが用いる擬態のようなものを遥かに超えるものであり、むしろ空想上の物語に登場する透明人間や光学迷彩に近い代物である。かれらの透明化能力は一般的に屈折等を初めとする違和感を背景に生じさせることはなく、カメラなどの映像機器、さらにはレーダーに感知されることすらない。加えて、かれらのサンプルは顕微鏡にすら映し出されることはない為、その分析すらも不可能なのである。かれらはこの能力を用い、その一生の殆どを透明化の状態で過ごすと考えられている。おそらく外敵から逃れる為に用いられるこの能力はかれらがその一生を終えた後、即ち死体と化した後も失われることはない。そのため、かれらの捕獲、及び拓本取りは困難を極め、文字通り手探りでの作業を強いられることになるのである。まして、一般の人々が透明化しているかれらの存在に気づく、ということはほぼありえないといって良いだろう。加えてかれらの死体は死後僅かな時間ですっかり消失してしまうのである。かれらが今まで発見されなかったという事実についても、この能力を考えれば当然の事といえるだろう。我々がかれらの発見に至ったのも、後述する信じられぬほどの偶然によるものなのである。

このように、かれらは我々から身を隠す為の充分すぎるといっても良いほどの能力をもっている。かれらが何故これほどまでに世界に対する過剰な防御姿勢をとっているのかはさておき、しかしながら前述の通り、UFOや火の玉といった、かれらの誤認と思しき空中を浮遊する存在が世界中に記録されているということもまた事実である。これだけ高い不可視性をもつかれらが、我々にこれほどまでに視認されることがあるのか、という疑問が生じるのも至極もっともなことであろう。事実、この生物発見後まもなくの調査においても、この点を疑問視する研究者は少なくなかったのである。無論、それらの目撃情報とかれらの存在とを完全に切り離して考える、ということも可能ではあった。しかし、件のAtmospheric beasts最初の発見の経緯というのが、「不可視と可視の間を揺らぐ物体」の発見を発端とするものであったことが、この問題をよりいっそうややこしくしていたのであった。

結果として、この疑問については非常に貴重な存在であるかれらのサンプルを数多く犠牲にした方法を取ることでようやく解決の糸口をつかむことに成功した。即ち、本来拓本をとるべきであるかれらのサンプルを1箇所に固定し、あらゆる距離や角度より、様々な機材を用いて観測を行ったのである。(サンプルは通常、拓本をとるおよそ数分間のうちに消失する。すなわち、サンプル上に紙をかぶせてしまう拓本取りと観測とを同時に行うことは不可能であり、よって観測を行ったサンプルは記録されることなく消失してしまうのである。消失したサンプルは既に拓本取りに成功した種、あるいはその後拓本取りに成功した種が殆どであるが、推定上軟下硬種であるparasolを初めとする何点かの種については観測のみ、即ち観測者の目視によってのみ記録された状態となってしまっている。)

このある種強引かつ非効率的な実験によって得られた結果は、しかし今後かれらの調査を行ううえで無視できない、重要な情報をもたらすこととなったのであった。

一見完璧な世界からの隠蔽能力を持つかれらであるが、とある角度、距離からの観測を行った場合、その効力は失われ、本来の姿かたちを我々の前に現わすことが判明したのである。この現象はあたかも盲点により見ることのできない点が如く、各種ごとに異なる距離角度のもと裸眼によってのみ引き起こされる。この「可視点」に偶々かれらが存在していた人々の証言が、不可思議な空中浮遊物の記録へと繋がったのであろう。前述の発見談についても、この可視点の領域で揺らぐかれらの存在を発見者が認めたに違いない。さらにいえば、固定したサンプルではなく、空中を浮遊し続ける生きている状態のかれらを観測することのできる確率というものは、その移動に伴い可視点も変化していく(加えて観測者も、かれらの視認を目的としているいないに関わらず移動しているのである)ことから非常に低いものであろうことは想像に難くなく、かれらを観測することのできた(それでも、おそらく一瞬の出来事であっただろうが)人間というものは歴史上殆どいなかったことであろう。周囲の人々が見えなかったものが見えた、という原因を、自身、或いは周囲の人々が、純真な心、信仰心、あるいは超常能力などに求めたであろうことは想像に難くなく、このことがかれらの神秘性にいっそう拍車をかけたものと思われる。無論、逆にかれらを見たと主張するものたちが、異端者(近代であれば精神異常者)とみなされ、迫害・弾圧を受けることとなった可能性も否定できないのである。事実、我々が行った幻覚発症者の取材のうちには、後に発見したかれらの新種のいくつかと非常に類似する内容を述べる証言も存在していたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・文中の観測実験の際、「可視点」より撮影したサンプルの写真。研究室の壁、およびサンプルを貼り付けている台紙しか写されていないことが分かる。当然ながらこの状態でズーム等の操作を行ったとしても何の効果も得られることはない。隣はこの観測実験により観測された推定上軟下硬種「Parasol」の観測者によるスケッチ。高い不可視性を持つかれらの姿は、拓本を除けばこのような主観的データでしか確認することはできないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・幻覚症状を訴え通院を繰り返していた米国某州在住H氏の描いたスケッチと、上硬下軟型Angel。氏のスケッチは断片的でしかないもののこの種の上部に酷似していることが分かる。残念ながら他のスケッチにおいてサンプルに似たものは見つけることができなかった。Atmospheric beastsの観測が単なる幻覚として処理された例は非常に多いと考えられており、更なる調査結果が待たれるところである。

 

能力②―「錯覚」

 

「可視点」の発見により、我々は一見完璧なものであるように見えたかれらの能力の穴をつき、その姿をさらけ出すことに成功したように思われた。しかし後の調査で、当のかれら自身もその能力の穴については承知していた、のみならずその弱点を補おうとするような能力を別に有しているらしい、ということが明らかになったのである。

 かれらの拓本採集を行う中で、我々は何度か、生きている状態でのかれらの観測に成功する機会に恵まれた。しかし、拓本をとった同種のサンプルに比べ、生体の方が遥かに大きく見えた、という証言が、観測に成功した調査員から挙げられたのである。

 当初、この問題については捕獲したサンプルが幼体であるという可能性も考えられていた。成体は外敵に対する高い防御手段、たとえば我々では捉えるのが困難なほどの高い飛行能力や、より高度な透明化能力などを持つためにいままで捕獲されてこなかったのだ、という説得力のある根拠が存在していたのも大きな理由であろう。しかし、その後偶然にも成体として観測された個体の捕獲に成功し、なおかつその拓本がいままで幼体として認識されてきたサンプルと同一のサイズであったという報告、そして成体の死滅に立ち会った観測者による、死滅した途端に観測サイズが急激に縮小した、という証言により、かれらの本来のサイズは我々が幼体のものとして考えてきたサンプルのサイズであり、かれらは生きている間、何らかの方法で可視点から見た場合のサイズを拡大させている、という考えが有力なものとなったのである。

 その「方法」についてであるが、かれらが観測された際、観測者に対し幻覚、あるいは「錯覚」のようなものを引き起こさせている、というのが主流である。具体的には、かれらは観測者の距離感を狂わせることで「大きさは同じのまま遠くにいるかのようにみせかけ」、自身の体を巨大なものであるかのように錯覚させているとされている。当初は、彼らは通常風船のように空気、あるいは未知の物質で膨らんだ状態で生活しており、死後それが抜けることによって萎んでしまう、あるいはもともと観測されたサイズと同様の大きさをもっているかれらが、死後体内の構成物質が蒸発することで縮小する、という説も存在していた。しかし、収縮がほぼ相似的に行われており風船のように膨らんでいたならば当然起こりうる皺や縮みが殆ど見られなかったことや、観測サイズの多くが、「住宅街において数m」といったような、いくらかれらが透明な存在であったとしても何らかの障害物と接触するなどしてその存在が露呈する可能性があまりにも高いサイズであった点などから、観測サイズは実際の大きさではないのではないという考えが徐々に支持されるようになっていったのである。事実、現在我々の手元にある拓本群に比べると、様々な目撃談に登場する飛行物体は遥かに大型である場合が多く、このこともこの考えを裏付ける大きな要素となっている。

突飛な説だ、と言われたとしても仕方のない話であるが、その方法についてはともかく、「体を大きく見せることで外敵を威嚇する」という行動については数多くの既知の生物たちが行っており、それほど不思議なものではないと言える。加えて、相手の距離感を狂わすことにより捕獲される確率を下げる、という機能も兼ねており、そうした意味でも生物的に理にかなった能力であると言えるだろう。(これは個人的に疑問に思っている点ではあるのだが、この錯覚、および前述の透明化の能力は、人間以外の他の動物についても同様に発揮されるものなのであろうか。さして興味を示さなかったと言う犬、及び猿での実験報告はあるにはあるのだが。もし充分なデータが取れさえすれば、巷の怪談話でしばしば登場する、動物に霊感が存在する、という説との関連が為されるかもしれない。)完璧ではない透明化の能力を補う為に、かれらがこういった行動を会得したとしても何ら不思議ではないのである。

ちなみに、この「外敵の距離感を狂わせる」、という方法についても全く前例が存在しないわけではない。かの「平行植物」の一種であるフシギネ(Anaclea)は「遠くから見ても近くから見ても」同じ大きさに見えると言う、「メトロスタシス」と呼ばれる現象を引き起こすことでよく知られている。この非常に似通った性質から、この植物とかれらとの関連性を指摘するものも少なくないが、両者とも未だに謎多き存在である以上、まだ何の結論も出すことができないのが現状である。ともあれ、こういった前例がある以上、かれらがこのような能力を有していることは決してありえないことではないといえよう。

 外敵からほぼ完璧に姿を隠すことのできる「透明化」と、それを補うかのように存在する「錯覚」。この2つの能力によって、彼らは誰にも知られることなく、自由に大空を浮遊することができたのである。

 

 

 

 

 

                            

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・卓上に乗るほど小さなサンプルであっても、その背景を大空に変えれば空中を飛ぶ巨大な物体に見える。このように、近くで見た場合のサイズの状態で遠くに存在するよう見せかけることで自身を巨大なものと錯覚させようとしているものと思われる。この観測時のサイズについては、実際の体長と殆ど変わらない場合や、実物の数十倍もの大きさになるなど、各種においてある程度比率が確定しているようである。

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